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旧 なんかのたまご

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「あなたにとって人生の幸せとはなんでしょうか?」という問い


「お金持ち」のイメージ - なんかのたまご 2014/08/05 Tue. 18:23  の続きです。

今回の「叶え力」。

書き出しは3項目ありますが、そのひとつめが、「あなたにとって人生の幸せとはなんでしょうか?」という問いです。

これ、たまたまハタヨガでダーダー涙流した日々 (幸せすぎて泣いています - なんかのたまご) の真っ最中だったので、ノリノリで書きました。


2014-08-04 05.00.41
たまたま早起きしたので。


以前から、ポール・マッケンナの催眠音声を聴いているとなんどか書きましたが (ポール・マッケンナについて言及した記事)、今でも時々聴いています。その中にこういう文言が出てきます。

「あなたが過去にとても幸せだった時のことを思い出してください。そして、その場面の色合いをより鮮やかにし、ウンタラカンタラ~」 (あやふやな記憶で書いているので全然違うかもだけどとにかくこういう意味のことです)

ワタナベ薫さんのMindSwitchに収録されている一瞬でモチベーションを上げるCDにも「あなたがこれまで一番幸せを感じた時のことを思い出してください」という部分があります。

これ、だいぶ昔にも何度か書いた覚えがあるのですが、こういう文言が出てくるたびにけっこう揺れていました。

その日の体調や気分にもよるのですが、たまたま体調が悪かったり嫌なことがあった直後だったりすると、このような音声に対して「はぁ?!いままで幸せだった時なんて無いわよ!ふざけんじゃないわよコノヤロー」みたいな気持ちになって催眠とかモチベーションどころではない精神状態になったこともありました。

でも、心穏やかな時は、ああーそういえばこんないいことがあった。あんなこともあった。幸せだなぁ、なんて思う時もありました。


IMG_20140723_101748.jpg
こういう瞬間とか


そうやって何年か過ごしている間に気付いたことがあります。

よく、「あなたの一番古い記憶はなんですか?」なんて質問がありますが、わたしは幼少期のことをほとんど覚えていないので、ええーなんだっけー???全然覚えてないよ~ なんて思っていましたが、あるんです。ちゃんと、幸せな記憶が。

(白いモヘアの毛糸で編んだセーターを着た母親の背中に向かって包丁を向けていた記憶のほうが古いのですが、自分なりに検証した結果、それがおとなになってからの捏造記憶である可能性が高い、と結論したのでほほぅ、そういう現象もあるのか、と受け流すにとどめています)

その、「幸せ」どころか「歓喜」という言葉を使いたくなるほどの強烈な記憶は、小学生のときチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いた日です。ハタヨガの最後のところで自分でも意味の分からない涙がダーダー出てしまったのと同じような感覚です。

そのときわたしは小学3?4?年生ぐらいで、ものすごく大きいラジカセにカセットテープを入れて松田聖子の曲をテレビから直接録音しているような時代でした。どうやってチャイコンが手に入ったのかは覚えていないのですが、とにかくメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトとA面B面になっていて、オートリバースのラジカセではなかったのでいちいちひっくり返して交互に聴いていました。メンデルスゾーンも好きですが、それよりもチャイコンを始めて聴いた時、全身に鳥肌が立って涙が溢れてしまって、なんだかとても幸せを感じたのでした。両親は不在がちで部屋は散らかり放題グチャグチャ、6人家族が狭い一部屋に住んでいる、という住環境でしたが、そんなことは関係ありませんでした。



Jascha Heifetz plays Tchaikovsky Violin Concerto: 1st mov. - YouTube


その時の光景と感情を思い出したのをきっかけに、いろんなことを思い出しましたよ。

まず、同じような身体反応 (なんだかよくわからないけど嬉しくて幸せで、制御できないほど心を揺さぶられて涙があふれた時) をした経験として思いつくままに列挙するならば、

・千葉海音さんの声を初めて聴いた時
・ゴッホ展に行って黄色い静物画を見た時
・セックスでイッたあと泣いてしまったたとき
・ダンスの発表で我を忘れて踊っていた時
・スキーの途中、山の上から夕日を見た時
・つい最近、赤ちゃんを本心から「カワイイなぁ!」と思っている自分に気付いた時
・2009年ぐらいのダイエット中、ただ、歩いているだけで幸福だった時
・読書中(いろんな本)
etc......

こんな感じのことが、わたしにとっての「幸せ」のようです。

ひとつひとつについて書くと長いので省略しますが、とにかく、自分にとっての幸せとはなにか、という問いに対してはかなりの期間、音声プログラムだけでなくいろいろな本やら別のCDやら友人や夫との会話の中で出てきた気がするのですが、ここまではっきりと、これが自分にとっての幸せなんだなぁと具体的な経験が思い出されたことは初めてでした。

わたしは叶え力が始まってからはノートもペンも仕舞いっぱなしだったのですが、2012年から書き出しをしている間にひっかかっていた、「わたしは偏屈だなぁ」だとか「素直じゃないなぁ」とか「メンタル病んでたからやっぱ無理かな」とか「スピリチュアル系とかマジ受け付けないから無理だわー」みたいなこだわりが緩んできました。

何でもかんでも受け入れるわけではないけど、何でもかんでも否定するわけでもなく、まあ適当に、楽しくやります。つまりこれまでとあんま変わらずってことですね。


【追記】

Twitterで長年見ている方の中に、出産なさったばかりの方がいらっしゃいます。これまでの7,8年ぐらいの間にも、産まれたー!というPostをたくさん見てきました。

そのときそのときで、「おおー良かった良かった!!おめでとう!!!」と思ってきましたが、「自分自身は欲しくないけど」という括弧付きでした。

なぜ括弧付きなのかというと、子供がほしいひとの気持ちがまったくわからなかったからです。友だちが子供欲しいとか言っているのを聴いても「えっ、マジで言ってんの?」と内心思っていました。

20代のころからずっとこんなふうだったので、ドラマや映画や小説の中で「あなたの赤ちゃんが欲しいの」とか「流産したときの心の痛手が……」みたいな台詞を読んでもピンと来なかったしまったく共感したことがありませんでした。自分が心からそう思えないので、世の中の女性は世間体を気にして義務感(演技)で「赤ちゃん欲しい」「子供産みたい」って言っているんだろう、大変だなぁ。まあ、辛くて嫌なことはサッサと終わらせちゃいたいから早く産んで終わらせちゃいたいよね。 (もっと言うなら早めに人生のイベント消化して早めに人生も終わらせちゃいたいよね) などと解釈していました。

人が(自分が)生きているということを肯定したいという願いを持ちながら、まったく正反対の考えが浮かんでしまうので、自分でもおかしいなぁと思いながらもあえてそこは追求せずに過ごしてきました。

でも、今は違います。

もし年齢的に間に合っていたら、産もうとしていたかもしれません。そして、自分自身が生まれてきたことに対してもやったー!と思っています。良かったと。

ともかく、現実に産む産まない、ということよりも、自分が「出産する」「命を産み出す」ことに対して100パーセント肯定して「素晴らしいことだね!おめでとう!」と思えるように変わったことが嬉しいです。

ともかく、腹の底から「おめでとう!!!よかった!!!めでたいめでたい!!!」と思っている自分が嬉しいです。

以上!

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