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誰にどう思われるか / エーリッヒ・フロム 『愛するということ』 第二章 1.愛、それは人間の実存の問題に対する答え 2/2

さきほど2013年の音声プログラム「グレートヒューマニティー」の収益からどのように寄付されたのかの明細が公開された記事を読みました。

2014年音声プログラム ”叶え力”募集開始です: 美人になる方法|毎日感謝を忘れずに潜在的美意識を高めて美人になりましょう

そこの前置きに、売名とか陰徳じゃないとか非難もありましたが、もう、そういうのはどうでもいいですみたいな一言が添えられていて、心のなかでまったくそのとおりだ、と思いました。

それから、わたし個人はなにかしたいと思いながらもなかなか実際には継続的に寄付などができなかったため、単に詳細を知ることが出来て嬉しかったです。勉強のための教材費、というつもりで大昔に振り込んだお金の一部が震災復興、プラン・ジャパン、ユニセフなどに寄付されているのだったら、良かったじゃん。と、嬉しい気持ち、というか。


2014-02-11 10.19.08


そして、それを誰にどう思われるか、ということもどうでも良くなってきました。

だって、言いたい人は結局言うんですもの。

あるとき、自分がどんな行動をとろうが結局は誰かしらにごちゃごちゃと噂だの批評だのされていることに気づいて、「そんなもんいちいち聞いてられるかようるせー」と思いました。そしてその人間関係から距離を置いたらとってもラクで、自由で、たとえ寂しいと感じる瞬間があったとしても、のびのびと自分らしく存在していられることの貴重さみたいなものには代えがたいと感じるようになりました。


やはり、2012年の美人のライフクオリティ向上プログラムも2013年のグレートヒューマニティーも、第一回目の音声の内容というのはとても重要な事が語られていると思います。グレートヒューマニティーについて言えば、

「なにか良いことをして、それを誰かに賞賛されたらそこで徳を積むという行為としては完結してしまい、見返りもそこでおしまいです。ほんとうの徳は陰徳、さらに、見返りを期待せずただ当たり前の行為として行うこと、それが老子の説いた、上徳です」

みたいな意味のところがあります。だけど、別に陰徳じゃなくても上徳じゃなくてもいいと思います。


わたしはグレートヒューマニティーの最初の頃、たしか「ばれないようにこっそりやる」などと言いながら小さなこと、ほんとうに数十秒ぐらいで済んでしまうような小さなことを習慣化するぞと決めました。

見ていても、見ていなくても、ということは - なんかのたまご 2013/03/06 Wed. 09:17

で、同じ行動を続けているうちに別にばれないようにと力む必要ないじゃん、という気持ちになってきて、そのうちふと視界に入ったゴミをついでに拾ったりすることに抵抗が少なくなり、最終的にはお前らが見ていようが見ていまいがしらねーよかんけーねーよみたいな仏頂面(まだ照れが取れていません)ではありますが、ゴミを拾うなら拾う、サッと掃除するならする、と、統一した行動が板につきつつあります。どっちかに統一しないと自分自身が気持ち悪い。やるならやる、やらないならやらない、と一貫性を持たないと不愉快なのです。

それからもうひとつ。

先日怒りの朗読、などと書きましたがあれの続きを読みました。



エーリッヒ・フロム 『愛するということ』 第二章 1.愛、それは人間の実存の問題に対する答え 2/2 - YouTube


ここにちょうど出てくるのですよ。

「一番広く浸透している誤解は、与えるとは、なにかを『あきらめる』こと剥ぎ取られること、犠牲にすること、という思い込みである」

「物質の世界では、与えるということはその人が裕福だということである。たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。ひたすら溜め込み、何か一つでも失うことを恐れている人は、どんなにたくさんの物を所有していようと、心理学的にいえば貧しい人である。気前よく与えることのできる人が、豊かな人なのだ」

「与えることは犠牲を払うことだから美徳である、と考えている人もいる。そうした人たちに言わせると、与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ。彼らによれば、犠牲を甘んじて受け入れる行為にこそ、与えることの美徳があるのだ。彼らにとっては、もらうより与えるほうが良いという規範は、喜びを味わうより剥奪に耐えるほうが良いという意味なのだ」

「しかし、与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界ではなくひときわ人間的な領域にある。では、ここでは人は物質ではなく何を与えるのだろうか。自分自身を、自分のいちばん大切なものを、生命を与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ」


エーリッヒ・フロム「愛するということ」第二章 愛の理論 より引用



ワタナベさんは、寄付の詳細を公開したことによって、フロムが言うところの「自分のなかに息づいているものの表現」をわたしに与えた(結果的に)。ということになるのではないかと思います。

見えないところで積む徳や、物質的、金銭的に何かを与える行為はまた別のところで、だまって淡々とやればいいわけで、公開すること自体は他を感化する精神的能力としてまさに徳そのものなのではないかと解釈しました。実際にそのようにわたしに作用しました。

さて。

これを自分自身にも当てはめてみると、今日一日をどう過ごそうか、と、また気持ちが新たに切り替わります。とりあえず笑顔ですかね。

先日はランボー怒りの朗読、なんて書きましたが、わたしが怒っているのはどうやら「人間はなぜ死ぬと決っているのか?」だとか「なぜ人間は苦しむのだろうか?」みたいなことに対してのようです。人類が長い歴史をかけて宗教や哲学の分野で語りに語り考えに考え続けても決まった答えは出ていない、そんなどでかいテーマにインスタントに答えがでるわけがない。まして怒ったところで仕方がない。

だから、とにかく笑って過ごすことぐらいですね、わたしが今日できることは。

雪の中を出勤、って、長年家でぬくぬく暮らしていたわたしにはハンパなくめんどくさいんですが、ブーツを履いて雪を踏みしめる感覚、膝まで埋まってしまうほどの雪、みたいな経験ってめったに出来ないので、今年はそれを満喫中。そのうち仕事自体も辞めますけどね。

では、本日も張り切っていってきまーす!


【追記】

なんと!ちょうどいまNHKのEテレでフロムの愛するということについてやってるらしいです。さきほどコメントで教えていただきました。

次回の放送前に録画予約しとこうと思います。なんてグッドタイミング!

NHKオンデマンド | 100分de名著 フロム“愛するということ” 第1回 愛は技術である

(*)この番組の再放送が、2/12(水)の12:25からあるみたいです。いま番組予約をしていて気づきました。

いい人が見つからない、すぐに相手にあきてしまうなど、愛には難しい点が多い。実はこうしたことは、現代人の悲しい性(さが)だとフロムは考えた。私たちは資本主義市場での“好都合な交換”に慣れているため、相手が条件にあうかどうかを気にしがちだ。そして“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。フロムはこうした考えに警鐘を鳴らした。そして愛するには、技術が必要なのだと説いた。第1回ではその真意に迫る。


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