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旧 なんかのたまご

無限ノート

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「わたしはこうします」と言えること

わたしは深く深く根を張るのだ。

今日はどういうわけかそんな気持ちになってぶらぶーらと歩いていました。


2012-12-27 13.43.29
いい根、張ってますなぁ


自分に素直になる、ということはとてもいい事ですね。

つい最近まで、そのような態度をなかなか自分のものにできなくて、問題のすり替えや臭いものに蓋式な思考癖が抜けなかった気がしますが、だんだんとそうでもなくなりつつあります。

そうなったらそうなったで、今度は自分のほんとうの感情と向き合わなくてはならなくてひぇぇぇーなにこれしんどーい!って思った瞬間もありましたが、ごまかしのなかで根無し草しているよりも全然( ・∀・)イイ!!いいぜ! なーんて思っているところです。


2012-12-27 13.16.21
大輔となかよくね!


いつもの神社で絵馬をなんとなく眺めていたら、この男の子、他の絵馬が「○○になりますように」という書き方の中で、ひとつだけこういうふうになっていました。

「大輔とケンカしません。神様みていてください」おおー偉いじゃん。大輔と仲良くなれますように、大輔がぼくの言うことをききますように、大輔に勝てますように……など、男の子だったらそんな言い方が出てきてもおかしくないとおもいますが、彼は自分で意思表明をして、氏神様に対してただ、「みていてください」とお願いしているんですね。

これはわたし自身も「最近○○が達成できました。いまは、こんなかんじです。今後はこうしていくつもりです」みたいに思いながら手をあわせて来たので、発想は似ているけど文字にして書いたことはありません。

もし今後絵馬を書くという経験があったときはぜひ、彼の方式を見習おうと思います。(というか、絵馬じゃなくてもノートでもいいんですよね。家で今すぐできるし)


ところで、カニグズバーグ『エリコの丘から』という小説に関する河合隼雄氏の考察に「わたしはこうしました」と言えることとはどういうことか、というような部分があります。

河合隼雄 アイデンティティを深める 2/5 死者の目は欺けない

絵馬の男の子の「けんかしません」は、見えない存在に対して自分の決めたことを言明している。

一方、『エリコの丘から』では透明人間になるということは、他の人間の承認を必要としないかわりに、一人の死者の目に対して責任を負っている。その、死者に対して「わたしはこうしました」と言えること、それこそが「わたしがしたこと」といえるのではないか、と河合氏は書いていました。

先日、他人目線を過剰に気にしなくなったと書きましたが、これは「わたしがわたしであること」だけでなく「わたしはいまこういう感情を抱いている」ということをきちんと実感することと関連していたのかもしれません。


2012-12-27 21.33.28
命の春よ


今年もあと残すところ4日。

2013年はどんな年にしようか、まだ白紙ですが、また自由帳を広げていろいろ書いてみようと思います。明日から忙しいから来年までブログは書かないぜ!

¡Feliz Año Nuevo! ¡Hasta la vista!

(良いお年を!またねー!)
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