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旧 なんかのたまご

無限ノート

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「それで、具体的に何を失ったかね?」

昨夕、主治医のところへ行ってきました。

ここ2ヶ月ほど、気候のせいかゆっくりゆっくり調子が落ちてきて、昨日はもう、ああこれはダメだーと思えてきたので自分の感じている問題点を箇条書きにして持って行きました。

いちばん困ったのは、理性では「そんなことあるわけないじゃん」とわかるのに、悲観的な空想を止められなくなることでした。これは紙に書かないとイカンな~などと思っているのに、その「紙に書く」こと自体出来る気がしない。気力がわかない。という状態。それから食欲がないのに酒だけは飲みたくなるのも良くない兆候だなぁという感じ。

それをそのまま先生に言ったら、そもそも2ヶ月前までは君は元気で過ごしていた。顔色も良くて精力的に活動していた。今はちょっとやつれて見えるけどそれほどひどくはない。というより、今までが調子良すぎたんだよ。という意味のことを言われました。

たしかに20代の会話が成立しない、みたいなひどい時期に比べたら全体的に穏やかに暮らしているのでした。だけど、わたしの中では2010年~あたりの絶好調だった時期の自分が一番印象強いのでなにか大きな失敗をしてしまったような、全てを失いそうになっているような、そんな気持ちでした。

それを言ったら先生は、笑って言いました。「それで、具体的に何を失ったかね?」と。

そのとき「そういえば、失ったものは特にないですねぇ。むしろ得たものだらけです」と答えてわたしも笑いました。そして、先月同様、タイムテーブルやToDoリストなどを一切書かないこと、という決め事だけ守って生活してください、と言われて帰ってきました。

「お酒は飲みたかったら好きなだけ飲んでください。飲み過ぎたとして二日酔いで苦しむのは僕じゃないからね」とも。まあこれは半分ジョークだと思いますので飲まない日を作ることにしますが。

一晩経っていま思うのは、さすが医者の言うことはすごいな~ということです。長く診てもらっているからなおさらなのでしょうが、どんな分野でもプロはすごい。(© 1987 清水義範)

たった一言「具体的に何を失ったかね?」と訊かれただけで、違う視点から物事を見るきっかけをもらって、すごく楽になりました。

ほんの短い期間調子がいまいちで過ごしただけなのにどうしてあんなに絶望的な気持ちになっていたのか、というと、これはもう認知の歪みってやつですよね。

紙に書く気力すらない~というのは今も変わらないので無理はしないのですが、認知の歪みのリストを忘れてしまったので本を出してパラパラ眺めていました。


2014-05-29 04.28.31
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法


この本については以前にも書いたことがありましたが、 (【関連記事】 バカはなおせる - なんかのたまご 2012/03/24 Sat. 07:36) 分厚い本なのですべてに目をとおしてはいません。2カラム法、3カラム法、という認知療法の手法が紹介されていて、読むだけでもずいぶんと自分の感情コントロールが上手になる気がします。もちろん、カラム法を実際に紙に書いてやってみるともっと変わります。

認知の歪みについては、外部リンクを貼っておきます。わかりやすいページがありましたので。

【外部リンク】 認知のゆがみ10パターン

うつや不安などに悩まされている方だけでなく、どんな人にも役立つ一冊だと思います。なにしろタイトルが「いやな気分よ、さようなら」ですからね。この本は汎用性高いですよ。

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ヨクイニンで頬のイボが枯れた

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http://nankano-tamago.com/yokuinin-ibokareta/
に引っ越しました
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浅倉美弥さんがゆるしすとに進化した!

yurushist.jpg

「ナルシスト」から「ゆるしすと」へ。|ゆるしすと浅倉美弥の自分を満たすブログ


そうそう、ブログ最近書いていなかったのでいろいろ思い出すことがありまして勢いで書いていますが、5月に入って、コーチングの浅倉美弥さんのキャッチフレーズが「ナルシスト」から「ゆるしすと」に変わったのですよ。

先日「これは進化ですねぇ~!」と、布団の中でスマホいじりながらひとりごとをブツブツ言っていたのですが、改めて今日PCからブログを見に行ってそう思います。

まだトップの画像は「ナルシスト」のままですが、少しずついままで「ナルシスト」と表記していた部分を「ゆるしすと」に変更なさっている様子が伺えて、すごいな~と思いました。

だって、「ナルシスト」であろうと決めて自分をしっかり満たすということをしながらそれをババーンと宣言して、その後ゆるゆるにゆるめて許す「ゆるしすと」ですよ。これは進化、ですよね。

外国映画のオーディオコメンタリーを見ていて気付いたのですが、英語圏の方の言い回しに「僕はあのとき自分に怒ることを許可したんだ」みたいな言い方がよく出てきます。これは自分の感情をそのタイミングで表に出すことに自覚的であり、自分にそう振る舞うこと(この俳優さんの場合は怒ること)にGOサインを出しているんでしょうね。

そして、その場で怒ったりしたとしてもちゃんと感情の処理は自分で済ませてその後は笑ってそのときの自分を振り返っています。この態度は自分の本体と感情は別物であり、感情というのはうつりゆくものなのだからコントロールするのが当たり前だ、という考え方の表れのような気がしました。

日本語で「許可する」と表記されると、なんだか上からものを言っているみたいでおこがましいような……って感じる場合もあると思いますが、たぶんその辺のところに「なにかを許せない自分」「ではなぜ許せないのか」もっと言うなら「なぜ自分を許せないのか」「なぜ自分を否定するのか」というところにつながってくるような気がします。

また、自分に許可を出すことというのは主体性と責任の意味をしっかり理解して腹に落ちていないとなかなか出来ないのではないかとも思いました。もちろん、そこには覚悟もあると思います。だから、最近の美弥さんはかっこいいしどんどん綺麗になっているなぁとも思いました。

ゆるゆる緩めるという意味も含んでいて、すっごく良いと思いました。やっぱり大切なのは脱力ですよ脱力。

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扉を開いたその後


メガネを探すためのメガネ、服を買いに行くための服 2014/05/25 Sun. 20:41

を書いた直後に、大切なことをひとつ書き忘れたことに気づきました。

アイテムとしての「服がない」よりも「そもそも問題に取り組む気力がない」のウエイトが大きい場合は無理をする必要はないと思います。無責任かもしれませんが、気力がないなら可能な限り全力で周りに迷惑をかけまくって飽きるまでサボってしまえー、と思います。

手に入れたあとはそれはもう自分のアイテムなのだから、大いに活用して、どうにか望む方向に行くしか無い。そう思います。


これは実際に自分にそういう時期があり、寝たきりで何年も腐っていたり、周りの人にものすごい迷惑もかけたのですが、迷惑をかけまくった挙句に自力でできる部分は自力でなんとかして、その後どうなったか。

自分の行動の責任は最終的には自分でとる。

そういうことになりました。

「責任」なんて言葉を出すと負担のかかることを強いられているような印象を受けるかもしれませんが、そういうのとはちょっと違います。

自分から、そのとき世話になったひとに対してお礼をしたいという気持ちが自然に湧いて新しく関係を組み直すこともありますし、その場所に自分の身を置いたり精神的な拠り所とすることは潔くないと判断して少し距離を置くという選択をしたり、いろいろです。

で、それによってすべての人から総スカンを食うかというとそうでもないのですよ。

むしろ、迷惑かけてでも生きていてくれて良かった。あなたが元気になって良かった。みたいに言ってもらえることが多くて、当時のことを笑い合うような場面も経験して拍子抜けするような気持ちになったこともありました。

ただし、外から救世主的なやり方で「助けに来たよ」みたいな人は去っていきました。

そのときその助けを受け入れてそのひとの言うままに寄りかかることもできました。それはそれで良かったのでしょうが、なぜか自分はそうしませんでした。

もしかすると、自力で鍵を見つけて最後の扉を開けたことにならないと薄々わかっていたからなのかもしれません。

そして、扉を開けても次の課題はやってきます。生きている限り誰もがそうなんだなぁということもわかってきました。夫もそうですし、両親や義父母もきょうだいもそうなのでした。

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メガネを探すためのメガネ、服を買いに行くための服

「服を買いに行く服がない」というネットスラングがありますよね。

先日タイムラインを眺めているときにそれに絡めて、文化的資質や勉強の仕方やお金の使い方、コミュ力などについても同じようなことが言えるのではないか、そしてこれは深刻な問題だ、というような主旨の発言(ブログかなにかの記事を受けたコメントだったかも)を見かけました。

それからしばらく経ったきょう。わたしは起床時にいつもと違う場所にメガネを置いていて、久々にメガネを探すためのメガネを手探りで取り出して「メガネメガネ」というのをリアルでやったのですが、もしメガネを探すためのメガネが無かったらほんとうに見つからないような場所においてありました。というか、メガネのような細っこい物体はどこに置いてあろうと背景と同化してしまって見つからないのです。


2014-05-25 18.56.41
メガネメガネ……


このとき「服を買いに行く服がない問題」のことを思い出して、思いを巡らせていました。

幼い頃からの環境というのはとても大きい、ということについても。こういうのは程度や分野の差こそあれ、誰にでもあるんだろうな、と思います。

その最初のとっかかりになるもの。今朝のわたしにとっての「メガネを探すためのメガネ」みたいな存在っていうのは大切だな、とも。

いろいろ振り返ってわたしが思うのは、メガネを探すためのメガネ、服を買いに行くための服、は自分で見つけて手に入れるしか無い場合が多い、ということです。わたしは20代後半~30代後半ぐらいの10年ぐらい、自分の人生がめちゃくちゃであると感じることを育った環境のせいにしてきたのですが、結局それを言い続けても解決への道は見つかりませんでした。そして、自分の人生がめちゃくちゃで悲惨なものであるという認識そのものが事実と違うのではないかと疑いはじめるまでに長い年月がかかりました。

(これは「育った環境のせいにするな」と言っているのではなくて、「最終的な解決には至らないと思った」という話です。時期や状況によってはおもいっきり環境のせいにしまくることも必要だと思います。自分の命を守るために。そして、アイテムとしての「服がない」よりも「そもそも問題に取り組む気力がない」のウエイトが大きい場合は無理をする必要はないと思います。無責任かもしれませんが、気力がないなら可能な限り全力で周りに迷惑をかけまくって飽きるまでサボってしまえー、と思います)

だけどもし長いこと迷路をさまよい続けて「もういい加減出たい。いまなら出られるかもしれない」と思う瞬間(つまり気力が少し戻った瞬間)があったのならば、メガネを探すためのメガネや服を買いに行くための服を手に入れるのは一時的にみっともない姿を晒したとしても、どうにかして自分で手に入れるしかないと思います。

手に入れたあとはそれはもう自分のアイテムなのだから、大いに活用して、どうにか望む方向に行くしか無い。そう思います。

わたしはいま新たに、とっかかりすら見つからない問題にぶち当たっています。今朝、自力整体しながらボロボロ涙をこぼしていました。「余計なこと考えない。自分の身体の中を、閉じた目で見つめ続ける……」(by 矢上裕)とかナレーションで言われてもどうしても無理ですねん。



声楽レッスン ベルカントと「声の闘争」


ところで、この動画の最後のほうで、バーバラ・ボニーが言っています。

「最初の経験であることが肝心です」 (hope point である、と)
「教師の言うとおりに努力するだけでは何かを見失ってしまいます」
「別世界の扉を開く最後の鍵を見つけるべきです」

そして、「古代の剣闘士がついに扉にたどりつき、闘技場で死んで体が運ばれたあと、魂があの世へ旅立つようにね」

とも言っています。

最後のドアを開ける。そして鍵を見つける。

この、鍵=メガネを探すためのメガネ、という気がしてきたので、いまの自分にとっての メガネを探すためのメガネを見つけてみようぞ!という気持ちになりつつあります。

【追記】
バーバラ・ボニーのこの動画は本当に心を動かされたので何度も見ました。
そして、過去にも貼ったことがあったのでした。当時、どうしても出ることができなかった狭い湾を、いまは上空から眺めているような気持ちです。こうしてふりかえってみると今の自分がぶち当たっている(ように感じていること)も、気楽にやってりゃどうにでもなるんじゃね?って気がしてきます。

海 - なんかのたまご 2012/08/13 Mon. 13:43
もらい泣き - なんかのたまご 2012/05/14 Mon. 08:22


その後
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