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旧 なんかのたまご

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「万能」!無意識に。まさに無意識に!

先日のやりとり (自分の感情をなかったことにするクセを変えてみる - なんかのたまご 2014/09/03 Wed. 12:37) のあと、浅倉美弥さんが、

万能じゃない、って言えるようになったの。|浅倉美弥の自分を満たす・ナルシストコーチング

という記事に、コメントを引用しながら [幸せに生きるコツ] カテゴリで1記事書いてくださいました。


2014-09-10 08.30.56
オーイェー


【以下引用】

そもそも、完璧=幸せ っていう方程式が間違ってたんです。

ホント、笑えるわー。


そこでハッと思いました。

あのときスマホじゃなくて、パソコンからコメントの返信書いていた気がするんだけど、なんでわたしはわざわざ「万能」って言葉をチョイスしたのだろう、パソコンから返信する場合はある程度読みなおしたりできるのに、どうして万能、という言葉に違和感を持たなかったのか、と。

「万能」って日常生活ではあんまり頻繁に言わないですよね。とくに、人物に対しては。(言うとしたら「スポーツ万能」とか?)

ひとに対して「有能」とかは言うかもしれないけど「万能」はちょっと違和感がある気がする。使うとするなら万能グリル、とか、万能物干しざお、とかのほうがしっくりくる。みたいな。

そこで今朝、歩きながら思いを巡らしていました。


2014-09-10 10.43.29
「何かにぶつかっても乗り越えやすい」ように変わってきたのはほかならぬ自分もそうなのでした♪


思いだしたことがあります。

わたしは浅倉美弥さんのコーチングを半分ぐらい受けている時期、そのときはまだ触っちゃまずい部分に触れちゃったみたいで、調子を崩しました。それで、「ああースコーンと忘れてたけどお薬飲んでるひとはコーチング受けられないんでしたーーーー!!!うひょー!!!」って感じで、美弥さんもわたしも互いになんかごめんねごめんねー!確認不足サーセン!でも今後ともよろぴくよろぴくーってな気持ちでいったんコーチングセッションを中断したという経緯があります。

その経緯やら後日譚については何度か書いていて、(このブログには浅倉美弥のナルシストコーチングというカテゴリがあります) たしか、別にコーチング受けられなかったら受けられなかったで、ブログ読んでるだけでも楽しいし、いいじゃん、みたいに締めくくっていたような。

で!です。

さっき帰宅して自分の思っていることをノートに書いていたら「健常者」という言葉が出てきました。

「美弥さんは健常者で、コーチ&ちゃんとした社会人。
わたしは、not 健常者で、いまだに調子を崩す時がある」

こういうのはひとと比べるようなことではないのですが、無意識に(まさに無意識に!)

「自分は人格に問題があり、健常者のひとたちとは違うと言われ、自覚もある。なにかが欠落しているのか、逆に過剰なのか、はたまた医者のさじ加減なのか、それはわたしにはわからないけど、とにかくそういう診断を受け、問題行動を繰り返したことは事実。だから、ひとと関わると周りを振り回してしまったり、傷つけてしまうかもしれない。つまり、加害者になる可能性がまだ残っている。治った~元気になった~♪ と油断したときほど危ない。だから迷惑をかけないように近すぎず、遠すぎず、適切な距離を保ちつつ、自分の力の及ばないことに関しては天に任せる」

などと思っているらしいのですよ。(意識の裏でね)


2014-09-10 10.44.08
人格障害に悩んで苦しむために生まれてきたのか?NO!それはわたしにとって本題ではない。人生のメインディッシュではない


だから、もしかしたら「万能」というのをキーボードで打ち込んだとき、ほんとうは「健常者」って書きそうになって、それはいくらなんでもおかしな表現だからと、無意識に言い換えたのかもしれません。

でも、良く考えたら変な話ですよね。身体的にも精神的にも健常であることの定義っていったいなんなのか、その境目はどこなのか、ってことすらはっきりしないのに。ねぇ。


わたしはいまヨガとか朗読とか音楽などに夢中で、こういうことばかりを考えて生きているわけではないのですが、通院だけは相変わらずしてます。

一ヶ月に一度、精神科に行くときもわりと楽しい気持ちで行っている & 20代半ばから精神科通いが途切れていないので自分にとっては当たり前の風景というか、通勤感覚というか。

ただひとつ、しっかりと認識しなおしたことがあります。

自分自身、過去に「境界性人格障害」という診断名がついたことは事実。現在は「全般性不安障害」とかいう診断が(一応、便宜的に)ついている。

だから、無理はしない。必要ならば薬も飲むし、先生のアドバイス通り穏やかに暮らせるように工夫する。

でも、わたしは日々変化しているし、仮に問題を抱えたままずーーーっと過ごしたからと言ってだからなに? ほとんどの時間を面白おかしく楽しく愉快に暮らしているのだ。そして、わたしの目線から見た「健常者」とラベルづけた人々にだって様々な課題や問題、煩いごとがあり、そのひとたちだって毎日変化している。

そして、一番大切なこと。今がどうであろうと、誰もが自分の意思によって自分を良くも悪くも変化させることができる。

ということを思ったのでした。

まあごちゃごちゃ考えなくても秋空は気持ちがいいし、細けぇこたぁいいんだよ!HAHAHA!


2014-09-10 08.30.25
この世の仕組みってダンディじゃんよ


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category: 浅倉美弥のナルシストコーチング

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浅倉美弥さんがゆるしすとに進化した!

yurushist.jpg

「ナルシスト」から「ゆるしすと」へ。|ゆるしすと浅倉美弥の自分を満たすブログ


そうそう、ブログ最近書いていなかったのでいろいろ思い出すことがありまして勢いで書いていますが、5月に入って、コーチングの浅倉美弥さんのキャッチフレーズが「ナルシスト」から「ゆるしすと」に変わったのですよ。

先日「これは進化ですねぇ~!」と、布団の中でスマホいじりながらひとりごとをブツブツ言っていたのですが、改めて今日PCからブログを見に行ってそう思います。

まだトップの画像は「ナルシスト」のままですが、少しずついままで「ナルシスト」と表記していた部分を「ゆるしすと」に変更なさっている様子が伺えて、すごいな~と思いました。

だって、「ナルシスト」であろうと決めて自分をしっかり満たすということをしながらそれをババーンと宣言して、その後ゆるゆるにゆるめて許す「ゆるしすと」ですよ。これは進化、ですよね。

外国映画のオーディオコメンタリーを見ていて気付いたのですが、英語圏の方の言い回しに「僕はあのとき自分に怒ることを許可したんだ」みたいな言い方がよく出てきます。これは自分の感情をそのタイミングで表に出すことに自覚的であり、自分にそう振る舞うこと(この俳優さんの場合は怒ること)にGOサインを出しているんでしょうね。

そして、その場で怒ったりしたとしてもちゃんと感情の処理は自分で済ませてその後は笑ってそのときの自分を振り返っています。この態度は自分の本体と感情は別物であり、感情というのはうつりゆくものなのだからコントロールするのが当たり前だ、という考え方の表れのような気がしました。

日本語で「許可する」と表記されると、なんだか上からものを言っているみたいでおこがましいような……って感じる場合もあると思いますが、たぶんその辺のところに「なにかを許せない自分」「ではなぜ許せないのか」もっと言うなら「なぜ自分を許せないのか」「なぜ自分を否定するのか」というところにつながってくるような気がします。

また、自分に許可を出すことというのは主体性と責任の意味をしっかり理解して腹に落ちていないとなかなか出来ないのではないかとも思いました。もちろん、そこには覚悟もあると思います。だから、最近の美弥さんはかっこいいしどんどん綺麗になっているなぁとも思いました。

ゆるゆる緩めるという意味も含んでいて、すっごく良いと思いました。やっぱり大切なのは脱力ですよ脱力。

category: 浅倉美弥のナルシストコーチング

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「苦労したからなに?えらくもなんともねー」


わたし、先日から少しずつ思い出しているのですが、ここのところ「私」と「世界」の捉え方が変わりつつあります。

一年ほど前、加藤袋さんについて書いたことがありました。

【過去記事】
加藤袋氏について書いてみて(東京ビックサイトアートイベント デザインフェスタ ) - なんかのたまご 2013/05/17 Fri. 14:55

あのころ、(というか中学生ぐらいから最近までの)わたしは世界をこんなふうに捉えていた覚えがあります。


2014-03-09 04.09.33
「私」は修行するためにこの世にやってきた、的なアレ


「私」からどんなに遠く離れていても、強い光を放つ対象というのは常に意識のどこかに存在しているし、忘れることもない。ただし、届かない、遠い。でも、それでもいいから、わたしは自分の煩わしい現実と一緒に自分の人生をしっかり生きる。もしかしたら苦しいことも全部修行かも知れないではないか、生まれついた環境もその一環であって、そこから目をそむけているよりはしっかりと対峙して、もし輪廻転生があるのならば今回の生でのミッションクリアして気持よく一生を終えようではないか。

みたいな。

でも、このイメージは徐々に変わりつつあります。

きっかけになったのは、浅倉美弥さんとのセッションが中断する前後あたりの、こんなやりとりでした。


「私から美弥さんへのメール文中より」

(略)

これは今に始まったことではなく、自分が一生をかけて乗り越えていかなくてはならない課題だと捉えています。

カルマ、という概念がありますよね。

仏教だと業とか宿業、宿命。

わたしは自分で選んでいまの自分に生まれたと思っています。どんなに辛い思いをしても、それは魂の成長のためには避けて通れない出来事で、時には自分が加害者になりながら、時には傷つきながら、磨かれている最中だと思っています。

とはいえ、今とても頭が痛くて気持ちも沈んでしまって辛い!(笑)

少し、自分を見つめるみたいなことをお休みして、笑える映画など見て過ごしてみようと思います。

なんだか深刻な感じになってしましました。朝からゴメンナサイ!

わたしはゴロゴロダラダラ休んでますが、美弥さんは、美弥さんらしい素敵な一日をお過ごしくださいませ!

ではでは!



このあと、美弥さんから、「コーチとしてではなく、一人の友人として、書かせてください。」という前置きつきで、こんな意味のお返事をいただきました。

「医者にかかるほど悩んで、苦しんで、それでもこの状況を、あなたは自分が選んで生まれてきた修業の場みたいにおっしゃるけれども、それはそれでたしかにそうだな、と私(美弥さん)も思う。

しかし、あまりに心を磨いて磨いてツルツルにしてしまったら他の人とひっかからなくなってしまうかもしれない。それぞれにデコボコしてるからこそ、助け助けられ、ひっかかって、ということもあるのでは?

すべてを背負い込み受け入れようとしなくてもよいと思いませんか。

パンパンに張った袋にどんどん詰め込んだら破れることもあるでしょう。

心だって、伸び縮みする。あなたの心はいまどんな状態でしょうか。」

(原文ママではなく、文意を要約しています)



このとき、わたしはまだピンときていなくて

「ああーそうかもしれんけど具体的にどうしたらいいのかしら?ひとまず休養はするけれども、とりあえずコーチングというものを受ける前にまず病気を治さなあかん。でもこれって病気っていうよりすでに20年ものの性格の問題だから、もしかしてわたしって一生コーチングとか受けられない人間なのか?まあそれならそれで仕方ないけど、わたしと同じようにメンタルが不安定で通院しているひとはどうしたらいいのかしら?というか、コーチングにこだわる必要ないんだよね、そもそも。だって普通にブログ読んでるだけでも楽しいしー」

などと考えていました。

そして、中断してしまったにも関わらず、時々それとなくこちらの様子を見てくださっていることに気づいて、ああー美弥さんー!!ありがとうー!!などと思っていました。


で、です。

このやりとりからもう半年以上が経過しています。

いまのわたしの世界に対する態度は、簡単な図にするとこうなるのです。


2014-03-09 04.09.53
苦労したから何?えらくもなんともねー


「私」を中心とした同心円の一番近いところには、大好きなひと、楽しいこと、興味のあること、そんなことばかりを持ってこよう、と思うようになりました。苦しいことや辛いことを無理に自分に近づけるつもりもないし、めんどくせーとか今の自分には必要ないと思ったらさっさと円の外の方へ移動させちゃいます。

それによって批難されたとしても、ひと目を気にして自分を曲げるぐらいなら「はいはい、わたしはあなたから見たらひどい人間ですよ~だからどうしたわっはっは!」と笑い飛ばすぐらいのほうが精神衛生上ずっといいです。

たぶん、物理的に近いとか、血縁者である、というようないわゆる「しがらみ」みたいなことを、変に力んで「○○せなあかん!」「これもひとつの修行だ!」「義務だから」「責任を持たなくては」「ワガママだと思われたくない」「正しい人でいなくてはならない」とか思わなくなりつつあるのでしょう。

これは、親きょうだいや夫、友人、同僚をないがしろにして現実世界から逃避する、という意味ではありません。

「責任」という言葉の意味を ”外から押し付けられるなにかつらいもの” という認識から ”自分の反応の仕方を自分で選択する能力(responsibility)” と、受け取り方が変わったことも、こう考えるようになったきっかけかも知れません。

レスポンシビリティは日本語で「責任」と訳されるが、もうすこし深く考えてみたい。レスポンシビリティとは、レスポンス(反応)とアビリティ(能力)が合体したものである。つまり、「自分の反応を選択する能力」ということになる。ここから自律性という言葉が導かれる。

ドラッカーのIT経営論 - 第34回:続・目標は自分で決め、自分で管理:ITpro より引用



自分の所属する場所を大切にしながらも、好きなことに意識を向け続けることは出来る、と思ったのです。

そう決めてしまうと、「私」という円のまわりを覆っていたモヤモヤがすっきりしてきました。モヤモヤ自体が消え失せる、ということはないのですが、気にならないか、対処が上手になるという感じ。

来週にはもしかしたらかねてからお会いしたいと思っていた方と会えるかもしれません。

とても楽しみです。



category: 浅倉美弥のナルシストコーチング

thread: ある日の風景や景色  janre: 写真

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美弥速は亀より緩々として亀より永々し

ちょっとカッコつけて「青は藍より出でて藍より青し」をパクってみたんですが、ほんとうにそう思ったので今日は浅倉美弥コーチについて書きます。

自分を満たす・浅倉美弥のナルシストコーチング

この方を知ったのはいつだったか。

あれ?いつ知ったのかはすっかり忘れてますが、とにかくブログを開いたのはワタナベ薫さん経由であることは間違いないでしょう。たぶん記事内のリンクを何気なくクリックして、へぇーナルシストコーチングっていう看板出してるのねぇ。とか、コーチング界隈ってコーチングとか起業みたいなひとばっかり集まるのねぇみたいなことを思いながら読み始めたような覚えがあります。


2013-01-20 13.34.46
先は見えないけどとりあえず歩いてきた道


(ちなみにわたし、ちょうど一年ぐらい前のこの時期はコーチングというものに対して少し抵抗がありました。自分が受けるなんてとんでもないし、ワタナベ薫さんの音声と課題に対する書き出しは好きだけど引寄せの法則やらスピリチュアルっぽい事柄はわたしはいまのところ保留しときますー、否定も肯定もしませんしその部分はスルーしときますー、深入りする気はないですーというスタンス)

あと、Facebookのプロフィール写真に惹かれました。なんででしょう。パッと見た瞬間顔が好きだなって思うっていうことに説明をつけるのはちと難しいです。

そして、過去記事を読んでいくうちに美弥さんご自身が、自分の話し方がゆっくりであることを気にしていた過去があり、もっとパッパとできればいいのにと思っていたんだけどそれは今思えば長所であった、みたいなことを書いている記事を読みました。

私は、話すのが遅いのがコンプレックスでした。

言葉がスラスラ出てこないし、話すのも遅い。

社会人1年目は4半期毎の面接で、上司から

「もうちょっと早くしゃべられへんか?」と言われておりました。


ま、それで話すのが遅いということをその辺りからコンプレックスに感じていたのですが、

焦ると余計出てこなくて、お相手をお待たせしているようだし・・・

で、本当に伝えたい言葉、ではなくそれに近い意味の言葉を伝えると、

自分も違和感を抱えたまま話すので、きちんと伝わらないこともあって。

聴くのはいいけれど、自分のことを話すのは、苦手でした。

コンプレックスは受け入れると長所になる!|自分を満たす・浅倉美弥のナルシストコーチング より引用



ええええええーーー!!と思いました。最初は。

というのは、わたしのほうは逆に超早口で、なにを言っているのかわからないといろんなひとから言われ続けてきたので、早口であることにものすごい羞恥心と劣等感を持っていました。

だから「話し方がゆっくりだなんて、羨ましい~!わたしと足して2で割れればいいのに~」などと思ったものでした。

でも、美弥さんにとってはやはり「お相手をお待たせしているようだし」とあるように、焦ることもあったのでしょう。それは当然ですね~。


先日、「みや速」について思ったことがあります。


ちなみに・・・みや速がどの程度かと申しますと・・・(左から速い順ね)

超高速→高速→ふつう→低速→カメ速→みや速

Mind Switch (after 3 months)|自分を満たす・浅倉美弥のナルシストコーチング



カメ速よりさらに遅いのがみや速だとご友人から言われるほどゆーっくりしていらっしゃるらしいと知って、そこから急に興味が湧いてしまってコーチング受けてみてもいいかも、

それに、ダメだったらやめりゃーいいし(ワタナベさんのご主人の名セリフ)

という感じでコーチング申し込んだのでした。

そして、最初のほうでゴールリストというものを作成したのですが、まあ散漫で欲張りで散らかったおもちゃ箱みたいなリストが出るわ出るわ!最初はたしか25項目ぐらい送ったのです。そして、美弥さんから「このリストアップの数は史上初の多さです」と言われたらなぜか調子に乗ってしまってさらに増やして(こういうところがお単細胞)50項目?ぐらいのやりたいことなりたいことリストみたいなものを送りつけた覚えがあります。

で、そこから「この中で、コーチングを受けなくても自分でできることは除外して、カテゴリ分けと整理をしてみてください」みたいに言われて、なるほどーと思いながら整理した結果、6項目以下ぐらいに絞れた覚えがあります。


2014-02-27 05.38.11
書類とともに、ライフバランスをチェックする表も送付されて、自分のデコボコしている部分を客観視するのに役立ちました


セッションは30分。

Skypeを通して初めて聴いた美弥さんの声は、やっぱり落ち着いているなぁという感じでした。ほんわかした温かい感じの方だなという印象。

でも、すっごいゆっくり喋っていると感じた記憶はありません。

逆に、あのときのやりとりが録音で残っていたりして、今の自分が聴いたとしたら、自分の、すっごい早口で前のめり感バリバリでひとの話が終わる前に口を挟んでしまう癖、のような、自覚していてもなかなか直らない部分をつきつけられて恥ずかしくて死ぬかもしれません。「死因:恥ずか死」みたいな。

それぐらい早口を気にしているのですよ。ハハハ!

その後セッションは中断せざるを得ないという展開になった為、真ん中ちょっと前ぐらいで終了しました。

あれから半年?以上が経ちます。

昨日の 自己愛 と 利己主義 - なんかのたまご 2014/02/26 Wed. 17:11  にも書きましたが、わたし早とちりなところがあります。物事が見えていないというか。

それか、関心がなかったからそこに意識が向いていなかったのか。

まあ理由はわかりませんが、ブログのタイトルに「自分を満たす」って書いてあるのを何回も目にした上にそのひとのコーチングを受けたのに、昨日になるまでちゃんとそこの文字列を認識していませんでした。盲点ってやつですね。びっくりしました。

そして、美弥さんとお話したことの断片が、いまになってふと頭をよぎる瞬間があり、ああ!あのときのアレはこういうことかーーー!!と、体験を通して理解するみたいな瞬間が3回ぐらいありました。

仕事帰りにぶらぶら歩いているときにそういうことが多かったです。

先日夢の中で「そういえば美弥さんがあんなことを言ったときがあったけどこれは今見ている情景にも繋がっていて、しかもヒントになっているではないか!」と、グースカピーと眠りながら思った日がありました。

まさに「みや速」

半年ぐらいしてからジワリジワリと着実になにかが起こっています。わたしのなかで。これからもなにかあるかも。

なんだか楽しみです。


SC20140227-054220.png
夢のなかでの体験も楽しみです


category: 浅倉美弥のナルシストコーチング

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自己愛 と 利己主義

「利己的なひとは、自分を愛しすぎているのではなく愛さなすぎるのである。じっさいのところ、むしろ自分を憎んでいるのだ」

フロムはこういう主旨のことを「愛するということ」の中で言っています。

エーリッヒ・フロム 『愛するということ』 自己愛 - YouTube

また、そのなかに自分自身を含まない人間の概念というのは存在しない。自分自身を排除するような学説は本質的に矛盾している。つまり、自分を愛するというとも他人を愛するということと同様に美徳であろう。なぜなら自分だってひとりの人間なのだから。

自分を愛することと他人を愛することは根本的に矛盾するのか?

自分に対する愛は利己主義なのか?

と。

結論としてはそうではなく、自分自身を愛することと他人を愛することは不可分であるだと述べています。

また、非利己主義的な母親の、子供に対する影響は利己的な母親の及ぼす影響と大して変わらないどころか、むしろたちが悪い。非利己主義はむしろ良い性格特徴として褒められ、本人も誇りに思うが、そういうひとを分析してみると愛する能力や何かを楽しむ能力が麻痺しており、人生に対する憎悪に満ちている。

もし、誰か(他人)を愛しているといえるならば自分自身をも愛しているといえるはずだ、とどこかにも書いてありましたが、このあたりを読んでなんとなく腑に落ちてきました。


2014-02-25 12.26.03
腑に落ちたところで自分を満たすために銀さんがジャスタウェイ作ってるところを自分に見せてあげました。満足しました。


さらに、ここの章を何度か読み返した時「愛のコーヒーカップ理論」という言葉を思い出しました。

愛のコーヒーカップというのは、先日フロムの本について検索していたときに偶然知った中野裕弓さんという方の「世界でいちばん自分を愛して」という本のレビューからでした。

5つ星のうち 5.0 人はコーヒーカップのようなもの。, 2011/7/29
By いつもすべてにありがとう "五十嵐佳則" (愛知県名古屋市) - レビューをすべて見る
(VINEメンバー)
レビュー対象商品: 世界でいちばん自分を愛して (単行本(ソフトカバー))
人はコーヒーカップのようなもの。
それを満たすのは愛。
自らの愛で自分のカップを満たせば、次第にカップから愛が溢れて'出て世界に注がれる。
逆に、自分の愛でカップを満たせない人は、誰かから愛を奪い満た'そうとする。
すべての人が、自らの愛で自分のカップを満たせるようになれば、'奪い合いはなくなる。
とても読みやすい温かい本です。

Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 世界でいちばん自分を愛して より引用



世界でいちばん自分を愛して
by カエレバ

これはとても得心のいく考え方です。

自分自身を自分が楽しませ、喜ばせ、時には甘やかし、時には褒めて……というふうに満たしてあげなかったら、他人に愛情を注ぐ余裕なんて出てきませんし、「自分は頑張っている。自分は立派にやっている。他人のために尽くしている。これだけやってあげている」みたいな非利己主義(別の言い回しをするならば利己的な愛他主義)人間が家族や身近なところにピタッとくっついてきたりしたらたぶん、息が詰まると思います。

もしそれが、恩着せがましい母親だったりしたら子供のほうがどこか病んでしまうかもしれません。(なぜなら非利己主義的にまめに子供の世話を焼いたり、自分を犠牲にしてまで信仰や社会運動などにエネルギーを注いでいる母親のことは子ども自身も周囲も表立っては批難できないから)

ここまで書いてまた思い出したのが、浅倉美弥さんのブログタイトル。

自分を満たす・浅倉美弥のナルシストコーチング

えーーー!!昔っから「自分を満たす」っておもいっきし書いてあったジャーン!!

ってさっき思いました。

ボンヤリ申し込んでボンヤリセッション受けていたのであんまりそこの「自分を満たす」ってところに意識が向いていませんでした。

すごーい!いつか、ちゃんと病気を直して美弥さんのセッション受けられるといいなぁって思います。

そのためにはまず、小さなできることから。

今日は血液検査行ってきました。

そして、もうしばらくいまの体調が続くようなら別の病院に行きます。たぶん婦人科でホルモンチェックすることでしょう。まあ考えたところで身体がどうにかなるわけでもないので、きょうもゆーっくりお風呂に入って楽しいことをしていっぱい寝ます。

あと、近所の八百屋のおじちゃんにレンコン安くしてもらったからなんか美味しいもの作りまーす。


2014-02-26 17.08.45
「激安ですやん……」って独り言ぶつぶつ言っていたらさらにお安くしてくださいました


category: 浅倉美弥のナルシストコーチング

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